海堡(かいほう)とは砲台を設置するために造られた人工島のこと。
首都東京と横須賀軍港を防衛する目的で、千葉県富津岬と神奈川県横須賀市間の東京湾口部に3つの海上要塞が建設されました。
第一海堡から第三海堡までありましたが、第三海堡は関東大震災で海中に没し暗礁化、現在海堡と呼ばれる遺構は日本に第一海堡と第二海堡の2つしか現存していません。
戦前は陸軍、のちに海軍、大戦後は連合軍に接収され、日本へ返還された後も軍事遺構という特殊性から一般旅客の無断立ち入りは禁止されていました。
現存する2つの海堡のうちの横須賀市側に位置する「第二海堡」は、2019年に一般旅行者の立ち入りが可能となりました。
といっても、個人での上陸はできず、民間のツアー会社が開催するツアーに参加するのが必須です。
105年の時を経て公開された、秘密多き軍事遺構「第二海堡」上陸の模様をレポしたいと思います。
横須賀港の三笠桟橋から出航
富津港発、横須賀港発と、ツアーは2パターンあります。
筆者は横須賀港からのツアーに参加しました。
乗船時間は30分程。
乗船時には激しい雨が。空もどんより。第二海堡上陸後、傘の利用は禁止とのことなのでカッパ持参で挑みました。気象状況などの条件が揃わないと出航はおろか上陸もできないとのこと。しかし幸運にも上陸時には雨が止み、ほぼ無風、船は無事に着岸できました。
海のハイウェイ「浦賀水道」を横断
1日500隻往来するともいわれる物流の要所「浦賀水道」を横断します。タイミングが合えば大型船が目の前を通るかもしれません。
横須賀港寄りではイージス艦を見ることができました。巡視船、釣り船、レジャー船、漁船など、多種多様な船を観察できるのも移動中の楽しみです。
概要と注意事項
第二海堡は明治中期からおよそ25年の歳月をかけて建設され、1914年6月に完成。水深約10mの海中に大量の石材や砂を運んで埋め立てられた。この埋め立て造成費だけで現在の額にすると約40億円にものぼるという。1923年9月の関東大震災で被災し、その後も風浪の影響により劣化、配備されていたカノン砲などは実戦で使われることはなかった。第二海堡に関する詳しい文献は残っていないため未だ用途不明の遺構が存在する。
-上陸後はツアーガイドさんの説明を受けながら共に行動、単独行動禁止
-海上災害防止センター消防演習施設の撮影禁止
いよいよ第二海堡へ上陸です!
桟橋付近の見所
〇間知石(けんちいし)
まずは船が着岸した桟橋付近のひし形の大きな石に注目。日本の伝統的な築城技術を活かして造られた護岸で、関東大震災でも崩壊しなかった堅固な構造となっています。
〇燃料庫
桟橋付近でもう一つ存在感を放つのがレンガ造りの倉庫です。屋根部分がコンクリートとアスファルトで覆われていることから、いかに最先端技術を取り入れ、防水に考慮していたかが分かります。
〇掩蔽豪(えんぺいごう)
桟橋から一段高い位置にはイギリス積みの長いレンガ壁が残っています。こちらは物資を保管したり兵士が暮らしたりするための防空壕のような建物です。レンガの色が普段見る色より濃く黒っぽいですね。これは耐水性に優れた「焼き過ぎレンガ」と呼ばれるもの。海風での劣化を防ぐ工夫が施されています。
灯台付近の見所
〇第二海堡灯台
15センチカノン砲の砲台跡に立つ、島で一番目立つ存在。現在の灯台は4代目で、昭和58年に建て替えられたものです。
〇立入禁止看板
ガイドさんに“おススメフォトスポットその1”として紹介された看板。「立入禁止」なのに立ち入ってますよ~の証拠になって記念になるとか。
右翼の見所
〇中枢施設
島の西端には崩壊が進むレンガ造りの施設があります。砲塔砲機関室、弾薬庫、発電所などの重要な施設は地下構造になっていました。
〇桜の刻印レンガ
島の多くの施設に用いられたレンガ。レンガには製造工場を示す刻印がされており、大抵は積み上げられているためその刻印は見えません。震災によって崩れたレンガの中から桜の刻印を探してみましょう。
桜の刻印は小菅集治監(現在の東京拘置所の前身)で製造されたもの。小菅集治監には西南戦争に敗れた薩摩武士たちの多くが収監されていました。このレンガは、薩摩武士たちの手によって造られたものかもしれないと思うと、歴史は繋がっているな、と感じるのであります。
〇FORT NO2
ガイドさんに“おススメフォトスポットその2”として紹介されたのは「FORT NO2」の文字がうっすら残る第二海堡を象徴するスポット。この文字は誰が書いたのか不明とのこと。
中央部の見所
〇中央部砲塔観測台
はっきりした用途は不明。視界の開けた場所にあるため、監視塔か、司令塔の一部だったと考えられています。
〇第一海堡
富津岬方向に目を向けると一番初めに造られた第一海堡を望めます。
〇ソーラーパネル
主に灯台の電力供給のために活用されています。写真手前に見えるのは食用のために栽培されたと推測されるサボテンです。
島内滞在時間は約1時間。
あっという間で、もっと見たかった、というのが正直な感想です。しかし個人行動は許されませんので、ガイドさんの指示の下、大人しく帰路につきました。
日が差せば直射日光が降り注ぎ、時化れば波しぶきが飛んでくる。そんな容赦ない特殊な土地に、25年の歳月を費やし、人力で造り上げたことに驚きですが、今なお上陸できるのは、当時の建設技術が高度であったからこそではないでしょうか。
以上、貴重な上陸体験でした!