突然ですが皆さん、東京都内に、恐ろし~い拷問道具があるって、ご存知でしたか?
それらが展示されているのは、明治大学博物館。もちろん現在使用されているわけじゃありませんよ! 御茶ノ水駅から徒歩3分、明治大学駿河台校舎アカデミーコモンの地下にあります。
拷問博物館は、無料で見学できる穴場スポット!
ここは拷問具が展示されていることから、「拷問博物館」として紹介されていることも多いのですが、実は地下2階の「常設展示」コーナー、商品部門・刑事部門・考古部門の3つのエリアに分かれており、拷問具が展示されているのは、そのうちの刑事部門の一画です。
入館料無料で写真撮影もOK、拷問具以外にも様々な歴史資料を見学できるとあり、この日は平日でしたが、中学生の団体などで賑わっていました。
江戸時代の刑事具や拷具は使用後に焼却されるなどしていたとみられ、1929年にこの博物館が設立された当時ですら、ほとんど残っていなかったんだそう。そのため館内には、大きさや材質、構造をそのまま再現し、出来るだけ当時を知る職人の手によって造られたという、レプリカも展示されています。昭和に江戸時代の職人さんが生きていたというのも驚きですが、<レプリカ> と表示されているもの以外が実物というのもまた、衝撃です。
そんな刑事部門の入り口にまず展示されていたのは、近代に至るまでの日本の刑事法が書かれた書物や、法を民衆に周知させるために掲示していた「高札」。どれも歴史の教科書に出てきた馴染みのある法令で、歴史にあまり詳しくない私でもテンションが上がってしまいました。
想像しただけで震え上がる、刑罰の歴史
さらにそこから後ろを振り向くと、今度は拷問具の数々が並んでいます。中でも「ギロチン」と「ニュルンベルクの鉄の処女」は、国内でもここにしか展示されていないものだそう。
写真にある「鉄の処女」は内側に大量の針が付いているため、中に人が入れられ、その扉を閉められると・・・。想像しただけでも恐ろしいですよね。 恥辱刑といって、道徳的規範を逸脱した者に辱めを与えるために行われたんだとか。
こちらは日本で死刑の際に使われていた「絞罪柱」。縄の先に鉄の重りを下げ踏板をはずすのですが、ひどい苦痛を伴う上に蘇生事件も起きたため、明治3年~明治6年の間しか使用されませんでした。その後は階段を昇った先で床が抜ける、「絞首台」へと移行。刑を処す道具でも、残酷さや不平等さの観点などから改良を重ねられているんです。
この「紙幟」は、死罪以上の者に対して付加されていた「引廻し」という刑の際に使用されていたもの。罪人は死刑に処される前に馬に乗せられ、名前や罪状が書かれた「紙幟」を先頭に掲げた行列とともに、江戸市中を廻らされました。
江戸時代、このように「引き廻し」や「晒」が行われていたのは、犯罪の抑止の目的で、刑罰の様子を一般の人々に見せるため。悪いことをしていないのに、刑罰の様子を見せられてしまうというのも嫌ですね。
拷問は滅多に行われなかった?!
また江戸時代には、確実な証拠があるにも関わらず白状しない被疑者に対し、拷問が行われることもあったといいます。この「笞」も、拷問の際に後ろ手に縛って叩くために使われていたんだとか。
ただし拷問に頼ることは役人の能力不足であると考えられていたため、「笞打」やその他軽度の拷問ですら、そう何度も行われるわけではなかったようです。これだけ恐ろしい拷問具が並んでいるので、私はてっきり日常的に使用されているものだったと思い震えていました。とはいえ当時も少なからず冤罪があったでしょうから、そういった人々が苦しめられたことを考えると悲しいですね。
宮本武蔵の父も使いこなした、江戸時代の警察道具
そして最後の方に展示されており、かなり印象的だったのは「十手」という道具。 一見おもちゃに売り場にもありそうな形ですが、江戸時代に警察の職務にあたる者が、犯人捕縛のために用いたものです。鉄製の棒の手元には鉤が付いており、これで敵の刀剣による斬り込みを防ぐんだとか。「この棒で刀と戦えるの?!」と驚いてしまいますが、柔術と併せて使われることもあり、宮本武蔵の父などは、十手術の達人だったといいます。華麗に刀と戦っている姿、一度見てみたい!
この他にも館内には、海外や日本で使用されていた刑具・拷問具が沢山展示されていました。中には想像しただけでも震え上がるような残酷な処刑法もありましたが、こうした歴史を勉強するのも大事なこと。今では当たり前になっているような人権の考え方も、つい150年ほど前までは、全く異なっていたことを思い知らされました。
貴重な資料を見て学べる、明治大学博物館。興味のある方はぜひ、訪れてみてくださいね!