ベルリン中央駅から電車で30分、プロイセン王家の居住地となっていたポツダムには、今でも複数の宮殿が残っており、それらの宮殿及び公園は「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」としてユネスコの世界遺産に登録されています。
そして、ポツダムといえばすぐに思い浮かぶのが「ポツダム宣言」。
これを受託し、日本は終戦を迎えました。
ポツダムは、第二次世界大戦の戦後処理を決定するための会談が開催された街なのです。
サンスーシ宮殿
プロイセン王国のフリードリヒ2世が建築を命じ、わずか2年で完成させた居城。
ロココ様式の壮麗な宮殿は他の宮殿に比べるとやや小さめ。
(ヴェルサイユ宮殿の部屋数700に対しこちらは部屋数12)
内装がロココすぎて目がチカチカしてしまう。
ここに住んでいた王様、気が休まる時はあったのでしょうか。
自分が一生住めないからこその憧れからでしょうか。
チカチカ物件ですが、こういった宮殿に住んでいた当時の暮らしを想像するのが大好きなのです。
美しく維持された広大な庭園。
建物に対し、庭園(公園)はとてつもなく広いです。
この敷地内には点在するいくつかの建物があります。
ひときわ目を惹くのが「中国茶館」。
18世紀に流行したシノワズリ(中国趣味)建築様式の東屋です。
当時、中国は「理想郷」と考えられていたため、ヨーロッパで「中国っぽい」を取り入れたデザインが流行り、このような西洋X東洋織り交ざった不思議な建物が生まれたのです。
ツェツィーリエンホーフ宮殿
最後のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が皇太子夫妻の為に建てた英国式の館。
皇太子の妃、ツェツィーリエの名前が宮殿名になっています。
「宮殿」というとサンスーシ宮殿のようなロココ調のゴテッと派手な建物を連想しますが、ここはロッジのような落ち着いた色調でカントリーハウスのようですね。
現在、宮殿の一部はホテルとしても利用されています。
宮殿内には船室のようなお部屋が。
ツェツィーリエ妃の船旅好きが高じて船室を模した部屋が造られたそうです。
そして、なんと言っても忘れてはならない「ポツダム宣言」が発された歴史的な会談の舞台となった部屋。
大きな円卓の直径は3.5M。モスクワで製造され、会談のために持ち込まれたそうです。
チャーチル英首相、トルーマン米大統領、スターリンソ連首相が集まった会談の様子が写真に納められていました。
歴史上、遠い過去の出来事のように感じますが、このカラー写真を見るとリアル感があり、「戦争」という現実を突き付けられたような衝撃を感じました。
ナウエル門周辺
ポツダムには宮殿だけでなく、歴史的な地区がいくつかあります。
その中の一つ、赤いレンガ造りの建物が並ぶオランダ人街。
18世紀に祖国を追われたプロテスタントのオランダ人たちが住んでいた街で、今はオシャレな雑貨店やカフェなどが並んでおり、観光ストリートとして賑わっています。
宮殿散策、街歩きに疲れたらこの辺りでちょっと一息。
ナウエル門目の前にあるCafe Heiderは軽食からメインまで楽しめる老舗カフェ。
オープンテラスに座り、ナウエル門を眺めながらあま~いひととき。
歴史を勉強していた学生の頃、まさか「ポツダム宣言」が発せられた地に来ることになるとは微塵も考えていませんでした。
旅は『勉強の場』でもあるということを改めて感じたのでありました。