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「キリストの聖骸布」とは、

十字架の上で処刑されたイエス・キリストの亡骸は埋葬時に丁寧に布に包まれた、と伝えられています。その埋葬に使われた布が「聖骸布」と呼ばれ、複数枚の存在の言い伝えが歴史上に残っていますが、現存するのは唯一、イタリア・トリノの聖ヨハネ大聖堂に保存されている聖骸布と言われています。多くの人々がその特異な姿を思い浮かべることが出来るほど有名なものですが、しかしその真贋については発見時から疑問視され続けてきました。

こちらはパリのサンシュルピス教会で展示されているトリノの聖骸布のレプリカです。長い布で体を挟むように包み、キリストの体がネガのように転写されているといわれています。1988年に行われた放射性炭素年代測定で13~14世紀に織られた布であるという結果が発表され、決着はついたかと思われましたが、その鑑定方法にキリスト教会側が反論するなど今現在も論争が絶えません。おそらくこの問題は永続的に決着を見ない種類のものであり、永久に謎のままであって欲しい、その方が夢がある、と思っている人々は少なくないと思われます。

本題に入りましょう。実はもう一枚、キリストの亡骸の頭部を包んだといわれる布がフランス南西部のある修道院に存在していました。(・・いました、過去形です。)数世紀に渡って信仰を集め、聖遺物として崇められてきたその「聖なる布」、様々な人々の思惑により、その布が辿った数奇な運命を探っていきましょう。

ペリゴール地方ドルドーニュ県カドアン村。現在の人口は300人ほどの静かな美しい村です。左奥の建物が教会、その横に修道院が併設されています。カドアン修道院は1115年、人里離れた深い森の奥に設立されました。現在は修道院としての活動は終えており、建物はユースホステルとして活用されています。

中庭を囲む回廊。15~16世紀に造られたゴシック・フランボワイヤン式(火焔式)の華麗な装飾で囲まれた修道院です。

カドアンとはこの地の古い方言で「マルメロの木」のこと、この村のシンボルのレリーフも壁に。

天井から見下ろす天使。

トリノで保存されている聖骸布は14世紀にフランス北東部で発見されキリスト教会に託されたもの、と伝えられています。カドアン修道院のものはそれより2世紀早く、話の始まりは第一回十字軍(1096-1099)まで遡ります。十字軍が聖地エルサレムの奪還を果たし、その行程で聖骸布を手中にしたと。しかしその真贋をめぐり揉めたのち、司祭の一人が自分の故郷フランス南西部の教会にその聖なる布を託した、という「伝承」が残されています。「聖骸布はカドアン教会に安置されている」という正式記録が出てくるのは1世紀あとの1214年です。

上の写真は「カドアンの聖骸布」の精巧なレプリカで、修道院入口に展示されているものです。実物はこれ以上光に当てると劣化が進む恐れがある、という理由で厳重に保管されています。

聖骸布の評判は広まり、カドアン修道院は聖地巡礼の重要な拠点となりました。また多額の寄付金も集まるようになりました。当時は聖書にまつわる「聖遺物」を所有することが教会にとって大変な名誉であり、どのキリスト教関係者も聖遺物を強く欲していました。先日火災にあったパリのノートルダム大聖堂は、キリストの「いばらの冠」と伝わるものを所有しています。

カドアン修道院はフランス王室による保護も受け、フランス王ルイ11世は、百年戦争(1337-1453)のあと、破壊された修道院にフランボワイヤン式の華麗な装飾を施こすための資金を提供しました。その際の建築が今現在の修道院の姿です。

百年戦争、宗教戦争、フランス革命中はカドアンへの巡礼は途絶えがちになりましたが、聖骸布は危険時には保管場所を変えつつ、手厚い保護を受けます。

1920年代のカドアンの特別ミサ、聖骸布が教会の外に運び出され、村内を巡回する隊列の写真です。当時は数千人の巡礼者が見守ったという記録が残っています。

その聖なる布は教会内でどのように保管されていたのでしょうか? 教会の天蓋に墓から復活するキリストとその聖骸布が描かれています。その先に2本の金属チェーンが下がっています。

この木箱に保管された聖骸布は、そのチェーンの先に吊るされていました。盗難の被害を避ける方法として考え出されたようですね。

教会のステンドグラスにもその「聖骸布」がデザインもそのままに描かれています。

麻生地に綿糸と絹糸で刺繍された「聖骸布」(レプリカ)

1934年、カドアンの聖骸布にその信仰を覆す劇的な運命が訪れました。
イエズス会の宗教歴史学者が聖骸布の端にある装飾の一部が、11世紀頃のアラビア語最古の書法・クーフィー体の文字(直線形の幾何学文様)であることに気が付きました。解読すると、コーランの一節から始まりファーティマ朝(現エジプト)のイスラム指導者「カリフ」Al-Musta’li(在位1094-1101)の名前とその業績を称える文面が・・・。

800年に渡り信仰を集めた聖遺物がその存在を打ち砕かれる時、関係者の驚愕、そして落胆ぶりはどれほどのものだったことか・・・

この「布」がもたらされたのは第一回十字軍(1096-1099)の遠征中といわれています。名前が書き込まれた「カリフAl-Musta’li」の在位期間1094-1101と重なることから、この布は1094-1099年の間にエジプトで織られたものであるという見解が発表されました。

その直後、フランスのカトリック教会本部は、カドアンへの巡礼を取りやめることを発表しています。

鮮やかな紅い壁画のテーマは「受胎告知」

その「布」をさらに調べてわかったことがもう一つ、花模様を含む装飾の刺繍に使われている絹糸は、当時のエジプトでは作られておらず、おそらく極東からシルクロードを渡ってもたらされた物であり、高級な品であっただろうと。その寸法と刺繍の位置から、背中から上腕を包むショールであったのでは? というのが現在の一つの解釈です。

宗教と歴史が絡み合う数奇な出逢い、そしてその信仰がこのような美しい教会芸術を生み出したことに不可思議な夢を見るようです。

優美な修道院の中で、十字軍にイスラムのカリフ、極東の絹、そして暗躍したであろうアラブの商人と騎士団の駆け引き、フランス王家、欧州各地からの巡礼者・・この一枚の布を巡る多彩な登場人物に思いを馳せると、その人々の思惑が伝わってくるような空気の重みを感じます、背中がざわつくほどに。

今も多くの見学者を集めるカドアン修道院、機会がありましたらぜひにご訪問いただきたいフランスの魅惑の史跡のひとつです。

心に残る彫像のひとつ、若き修道士の懺悔を聞く年長の修道士。




ペリゴール地方には多くの古城や中世の姿を残す町、ラスコー洞窟をはじめ先史時代の遺跡群など魅力的な観光スポットが揃っています。フォワグラとトリュフとワインの世界的名産地であり、グルメ観光地としても人気を集めています。ペリゴール地方の史跡巡りはボルドー発のバスツアーを組むことが一番アクセスの良い方法かと思います。




store紹介した場所

カドアン修道院

place

Place de l'Abbaye, 24480 Le Buisson-de-Cadouin Dordogne France
(GoogleMapで見るopen_in_new)
directions_transit
ボルドー駅よりTER Nouvelle-Aquitaine線で3時間前後、Le Buisson 駅下車、タクシーで10分

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