アドリア海を挟んでイタリアの対岸に位置するモンテネグロは「アドリア海の秘宝」と呼ばれ、小国ながらも豊かな自然と小さくも美しい町がたくさん点在しています。モンテネグロを代表する観光都市といえば世界遺産に登録されている「コトル」、そしてモンテネグロ屈指のリゾート地として名高い「ブドヴァ」。この2つの湾岸都市は人気観光地クロアチアのドゥブロヴニクから国境を越えてすぐの場所にあり、観光アクセスも良好。大型客船の寄港地にもなっているので特に夏のシーズンは多くのツーリストで賑わいます。
世界遺産「コトル」
コトル湾の最奥、複雑な入り江にひっそり隠れるように佇むコトル。前方は海、背後は険しい山、そして山から流れる川、地の利を生かし築かれた堅固な城塞都市は敵に破壊されることなく中世の面影を現在に伝えています。
コトル旧市街への入口は3つの城門から。メインゲ-トはコトル湾に面した正門、別名「海の門」。正門右手にはヴェネツィアの守護聖人である聖マルコのシンボル、翼の生えたライオンのレリーフが目につきます。
アドリア海沿岸の街々は中世から近世にかけてヴェネツィア共和国の支配下にありました。コトルがヴェネツィア共和国の支配下に置かれていたのは1420~1797年の間。よってその影響を受けて造られた城壁や建築物が多く残っているのです。
正門を抜けると1602年建造の時計塔が建つ武器の広場に出ます。ここは公開処刑の場でもありました。
コトルの象徴的広場、聖トリプン広場に面して建つのは1166年に建造されたロマネスク様式のローマ・カトリック教会、聖トリプン大聖堂。
ローマ・カトリックと東方正教会の文化圏が重なっているコトルには両宗派の教会が混在しています。
スヴェタ・ニコラ広場に面して建つのは1195年に建造されたこちらもロマネスク様式のセルビア正教会、聖ルカ教会。
頑丈な石造りの聖ルカ教会は元々カトリック教会でした。17世紀に正教会に譲渡されましたが、19世紀まではカトリックと正教会の両方の祭壇が置かれていたそうです。
背後の山には聖イヴァン要塞(海抜250M)と要塞に続く城壁が築かれており、街の奥から登って行くことができます。
ランドマーク的な建造物を一通り見たら、旧市街での一番のお楽しみ、石畳の路地歩き♪
度重なる地震がこの地を襲い、全体的に再建されたような新しさを感じます。
新しさを感じるものの、石造りの街並みは重厚さも感じ、この路地を曲がるとどんな景色が広がるのか期待して歩かずにはいられません。
近年では1979年の大地震で多くの文化施設、住宅が甚大な被害を受けました。ユネスコの支援のもと約10年の歳月をかけ復興、美しい中世都市が蘇ったのです。
リゾート地「ブドヴァ」
コトルからブドヴァまでは車で30分程。コトルに比べるとやや小さ目の旧市街。新市街は20世紀以降の建物で、富裕層が別荘地として購入、今では『モンテネグロのクウェート』と呼ばれるほど資産家が多く暮らす街となっています。
旧市街へは6ヵ所に設けられた門から出入りします。
アドリア海沿岸では最古に拓けた街として歴史は古く、紀元前5世紀まで遡ります。
メイン通り的な賑わう通りを進むとすぐに3つの教会と要塞がある広場に出ます。コトルよりふたまわりくらい小さいのですぐに突き当り(要塞とアドリア海)に辿り着くのです。
▲ 旧市街で最も高い尖塔をもつカトリックの聖ヨハネ教会
▲ 要塞とアドリア海
石畳が美しい旧市街。細い路地に迷い込んでタイムスリップ感を味わいながらの路地散策♪
ツーリストで賑わう通りがある一方、住宅街はとっても静か。こんなところで暮らしてみたい!
コトル同様、地震で壊滅的なダメージを受けたものの、ほぼ原形通りに復興されました。
オレンジ色の屋根瓦の建物がひしめき合う旧市街は、まるでクロアチアのドゥブロブニクのミニチュア版のよう。昔は独立した島だったという説があります。
コトル−ブドヴァ間を結ぶトンネル工事は日本も協力をしたそうです。更に教育の面でも日本からの支援があり、現地の方から「ありがとう」のお言葉をいただきました。遠いバルカンの国と日本との思わぬ繋がりに驚き、同時に嬉しくもなり、より愛情を持って路地散策を楽しむことができました。
平和な風、紺碧のアドリア海、目の覚めるような青空に包まれながら中世都市へタイムスリップの旅はいかがですか?