【岡山】桃太郎伝説が残る「吉備路」を行く!
岡山県岡山市から総社市にかけて、約21kmに及ぶ「吉備路自転車道」と呼ばれる道があります。
道中には吉備津神社や備中国分寺などの歴史的建造物から岡山県下最大級の古墳など、吉備の貴重な遺産が点在しています。ところどころに残る「桃太郎」「鬼退治」伝説の舞台となった場所も見逃せません。
「日本の道100選」にも選ばれている「吉備路」で、歴史探索はいかがですか?
桃太郎伝説の原型
“おばあさんが川に洗濯に行くと
ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきて
その桃から元気な男の子が生まれました・・・”
というのがご存知の、後に鬼退治に行く、日本昔話の「桃太郎」です。
物語の「桃太郎」のモデルとされているのが孝霊天皇の皇子である吉備津彦命(きびつひこのみこと)。この吉備津彦命が、吉備の国で猛威を振るっていた温羅(うら)という猛者を退治したという伝説が「桃太郎」の原型になったのだといわれています。
吉備中山の山上には吉備津彦命の御陵とされる(宮内省管理)前方後円墳「中山茶臼山古墳」が築造されています。
ちなみに、吉備津彦命の姉が卑弥呼だという説があります。
桃太郎を祀る二つの社
吉備中山の麓には吉備津神社と吉備津彦神社、二つの社が鎮座しています。
どちらもご祭神は「吉備津彦命」。
吉備津神社は県内で最も古く大きな神社。
本殿・拝殿は比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)という独特な屋根型で、吉備津造(きびつづくり)とも呼ばれ、国宝に指定されています。
鬼神が吉凶を占ってくれる「鳴釜神事」(なるかましんじ)や、温羅との戦いで吉備津彦命が矢を置いた「矢置岩」などがあり、桃太郎伝説が色濃く残る神社です。
吉備津彦神社は吉備津彦命が建てた吉備中山の麓の屋敷跡に社殿が建てられたのが神社の始まりとされています。
吉備津彦神社敷地内からは吉備中山の山頂に通じる登山道があり、先に紹介した「中山茶臼山古墳」までアクセスすることも可能です。
楯築遺跡
弥生時代の墳丘墓で、その大きさは全国最大級。
頂上にある巨石は、温羅と戦った際に吉備津彦命が楯として築いたものとされています。
鯉喰神社
鯉喰(こいくい)という名称は「鯉に化けて逃げる温羅を吉備津彦命が鵜となって退治した場所」という伝説からきています。
ここがまさに鬼を退治した現場!ということになるのでしょうか。
造山古墳
全国第4位、岡山県下最大級の前方後円墳。
全国第1位は仁徳天皇陵古墳ですが、こちらは宮内庁管理のため立ち入ることができません。よって、歩いて登れる古墳としては日本最大です。
墳丘からは緑豊かな田園風景が望めます。
こうもり塚古墳
全長約100mの前方後円墳で、巨大な横穴式石室は奈良県の石舞台古墳の石室に匹敵する大きさ。
石室内には家形石棺が納められています。
備中国分寺跡
聖武天皇の発願によって全国に創建された国分寺の一つで、現在の建物は江戸時代中期以降に再建されたもの。境内の五重塔は重要文化財に指定されています。
「田園風景の中の五重塔」は吉備路のシンボルとなっており、ポスターにもよく登場する景観です。
特に、この辺りで栽培されている古代米「赤米」が赤い稲穂を実らせる時期は、赤く染まった田んぼと五重塔をカメラに収めようと多くの人が訪れます。
作山古墳
全国第10位、岡山県下第2位の規模を誇る前方後円墳。
造山古墳ほど整備がされていないため墳型がいまいち分かりづらいですが、こちらも自由に立ち入って見学できる古墳です。
注)史跡は草木生い茂る中に保存されているため、特に夏は、蚊の襲撃が必須です!万全な虫除け対策を!
日本昔話が生まれた地らしい、日本の原風景がそこかしこに広がり、清い空気と緑の艶やかさに大変癒されました。
多様な奥深さを持つ「吉備路」に、1度ならず、季節を変えて、足を運んでみてはいかがでしょうか。