インドのマザーテレサハウスでボランティア
おんな1人バックパッカーで世界一周の軍地麻衣子です。
世界一周中、ルートに入れようか入れまいか迷った場所。
そしてバックパッカーの人たちに、その国へ行くことを告げると、
ほとんどの人から「気をつけて!」「え!ご愁傷様~」
という言葉をこれでもかというほど聞いた国。
直前まで本当に怖くてドキドキしながら、パスポートのコピーを靴の中敷に入れて入国した国、インド。
なぜ、インドなのか。
そんな私がインドにどうしても来たかった理由が、インドのコルカタにある、マザーテレサハウスに行きたかったからです。
ここで登録をすれば誰でも施設でボランティアをすることができます。
もともと、NICU(新生児集中治療室)で看護師をしていた私は、500gの超未熟児の赤ちゃんや、ハンディを持って生まれた赤ちゃんを沢山看てきました。
成長して元気に退院する子もいれば、
ハンディを持ったまま退院する子も沢山いました。
看護師として、小さく生まれた子やハンディを持った子、その家族と接する中で、NICU退院後の子どもと家族の地域に出る難しさを実感しました。
子どもが退院した後の在宅に対する支援の少なさを感じ、親の負担の大きさも目のあたりにしたことから、ハンディを持っている子どもとその家族の支援に関わっていきたいと考えるようになりました。
毎日沢山のボランティアの方々が来ています。
毎週月・水・金の15時から説明と登録があり、登録すればだれでも1日からボランティアをすることが可能です。(夏休みの時期とかはとても人が多いみたいなので注意)
施設もいくつかあり、自分で希望してシスターと相談し決定します。
・カリガート(死を待つ人々の家)
・プレムダン(カリガートより軽い病気)
・ナポジポン(子ども含め、貧しい人の結核病棟とアルコール中毒、青年期の知的障がい者など)
・ダヤダン(10歳以上の子の身体および知的障害児)
・シュシュババン(障害孤児)
私は、インドの障害孤児と接する中で沢山のことを学びたい。という気持ちから、シュシュババンで1週間ボランティアすることを決めました。
マザーテレサハウスでは午前と午後のボランティアに分かれていて、
片方でも両方でも選べます。
朝6時からミサがあって、これは出席するもしないも選べます。
7時から朝ご飯(パンとバナナとチャィ)が出ます。
チャイがすごく美味しいです。
ここでボランティアできている海外のみんなと仲良くなることができるので、毎日の情報交換や、朝ご飯の時間が私は大好きでした。
話を聞くと、学生さんで夏休み中だとか休学中だとか
もう毎年来ているベテランさんだとか
医者の卵とか、本当に沢山のボランティアさんがいてすごく面白い!
8時から各施設に行ってボランティア開始します。
シュシュババンは基本的に障がい児の子達と遊んだり
歌を歌ったり
食事やおやつの介助をしたり
お着替えのお手伝いをしたり。
休憩のときにまたビスケットとチャイがでるのですが、とても美味しくて和みます。
そして午前のボランティアは12時くらいに終了します。
丁度、看護師をやめて半年くらい経っていたので、
ひさしぶりにハンディを抱えた子どもと接しました。
それだけ、普段病院にでもいかないと普通に暮らしている中でハンディを抱えた子どもと接する機会がないのですね。
病院で働いている時はそれが普通だったから気づきませんでした。
一緒にボランティアをした20歳の日本人の女の子が、
「障がいを持った子どもと接するの初めてだったからその子が何を訴えているのか全然わからなかったし、すごく戸惑った」
という言葉を聞いて、改めて普段私たちとハンディを抱えている子どもの距離が遠いことを実感しました。
シュシュババンには、私が看護師をしていた時に見たことのある症状の子どもも沢山いました。
生まれる時に、うまく酸素が赤ちゃんの脳にいかなくて、
体にマヒが残ってしまう症状。
もちろん、日本にも沢山います。
日本では医療が発達しているから、入院したりしながらも
ほとんどはその子どもの両親が育てています。
インドのシュシュババンにいる子たちは親がいません。
ただ、毎日沢山のボランティアさんが来て、抱っこしたり遊んでくれたりしています。
最初はインドの施設にいる子どもを可哀想と思っていたのですが、
施設の子ども達も沢山笑っていて、笑顔も多いです。
マザーテレサの言う「貧しい人」は
「誰からも愛されていない」と感じている人のことを言います。
私が施設の子を可哀想と思うこと自体が私だけの価値観であって、なんだか失礼なことなのだなぁ・・と感じながらボランティアをしていました。
マザーテレサハウスで行われている医療や技術は日本で私がやっていた医療と比べると、物もないし、スタッフの専門的な技術や知識も少ないように思いました。
中には、この病気、日本だったら手術して助かるのになぁ。
という子もいて、その子達は寄付金が集まらず、手術するお金がないためそのうち亡くなってしまいます。
でも、私1人はとても小さいし、その子を助けることはできません。
日本の医療が正しいとか、進んでいるから良い、日本なら助かるから良かった、ということを感じたのではなく、
私が目の前の子どもを救うことは出来ない。
という事実を知りました。
事実を知って私が感じたこと
マザーテレサハウスにて、私1人では何もできないことを感じざるおえなかったです。
だからこそ、目の前でご飯をほしがっている子や
遊んでほしいってサインを出している子に対して
「今私ができることを精いっぱいやろう」
と思いました。
ほんの小さなことしかできないんだけど、
その小さなことを大切にやっていきたいなって感じました。
これは日本でも同じだと思います。
日常で自分ができる小さなことの積み重ねがとても大事だし、できることを精いっぱいやることが、私のためにも相手のためにもなるのだろうなって、マザーテレサハウスでボランティアをする中で学びました。
私も改めて「仕事」としてじゃなく、障がいを持った子どもと接することができて、ハンディのある子どもを支援することに関わっていきたいと改めて感じました。
「看護師として」ではなく、「1人の人間として」
マザーテレサハウスでの子どもに接することが出来たのは、とても良い経験になりました。